アメリカ合衆国建国と植民地時代の歴史 その40 印紙税法

Last Updated on 2025年2月25日 by 成田滋

植民地の多くの土地所有者は、公式に流通が停止された紙幣の復活という大盤振る舞いの恩恵を受けました。しかし、重商主義政策の一環として、1765年にイギリスは北米植民地にアメリカ駐屯軍費の一部を負担させるため,イギリス議会が同地発行の新聞,証書などに最高10ポンドの印紙を貼ることにした印紙税法を制定します。この印紙税法は植民地の経済活動の重要な部分を打撃し、貿易取引に影響を与えます。また、植民地で最も明晰で影響力のある弁護士、ジャーナリスト、銀行家の多くに影響を与えます。さらに、イギリス議会が植民地に対して直接賦課した最初の「内国税」でありました。内国税というのは、本来イギリス国内でさまざまなモノやサービスに課せられる税のことです。それを植民地にも持ち込もうとするのです。

Tax Stamp

 しかし、こうした印紙税法は暴動を引き起こします。イギリスも植民地もこうした騒ぎになるとは誰も予想していませんでした。ボストンなどの町では暴動が起き、任命された切手販売人は職を辞することを余儀なくされ、合法的な取引はほとんど停止してしまいます。1765年夏、いくつかの植民地はニューヨークの会議に代表団を送ります。そこで印紙税は、選ばれた代表を通じてのみ課税されるというイギリス人の権利を侵害するものとして非難され、あわせてイギリス製品の禁輸措置という提案が採択されます。

 イギリス本国政府による印紙法の押しつけに対する反対運動は、植民地の抵抗運動を一段と強めていきます。さらにこうした抗議運動が植民地の枠を越えて拡がり、植民地13州の議会が連帯して印紙法会議を開催します。そこで、「代表なくして課税なし」というイギリス議会の原則に照らし、植民地代表のいないイギリス議会には植民地への課税することはできないと決議し、印紙法の撤廃をイギリス政府に請願します。

 イギリス内閣の交代は、課税政策の変更を促します。イギリス議会は植民地の無法状態に怒りを表すのですが、イギリス商人はイギリスの輸入の禁止を懸念していまた。グレンヴィルの後を継いだロッキンガム侯爵(Marquis of Rockingham)は、植民地の抗議に同調するためではなく、国内の理由から印紙税を廃止するように説得し、1766年に印紙法の廃止が可決されます。しかし同日、議会は宣言法(Declaratory Act)も可決します。宣言法は、議会が「いかなる場合においても植民地を統治し、立法する権限を有する」と宣言したのです。

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